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房総の牧と人々の暮らしは、石碑や神社、神事、祭礼などの日常に伝わっています。野馬水呑(みずのみ)場・湧き水の故事を伝える柏市「ごろが池の弁天さま」、八街市の「こえっぱの弁天」、馬や牛を供養する馬頭・牛頭観音の石碑、鴨川市には馬とのかかわりの深い集落に吉保(きっぽ)八幡のやぶさめや和泉の三役(さんやく)が伝わっています。また北総の牧跡では牧の開墾を記念する記念碑や神社、開墾地名が現在の風景に溶け込んでいます。
Maki-area: 佐倉牧
明治のはじめから、三里塚の地にあって、わが国の畜産振興のパイオニアとして足跡を残した下総御料牧場の名を長くこの地にとどめるため、御料牧場事務所があった場所に開館しました。
Maki-area: 嶺岡牧
天長6年(829)に吉保郷の鎮守として勧請。本殿は神池の上に建ち、波の伊八30代なかばから後半の作が向拝を中心に飾られている。中央に宝珠を握った竜、左右に「波に犀」の図が配されている。普段は非公開だが、9月末の例祭日に見ることができる。
Area: 小金牧
Area: 佐倉牧
Area: 嶺岡牧
江戸幕府が軍馬の需要をまかなうために設置した小金牧の一つの中野牧の遺構です。捕込(とっこめ)は、野馬を追い込み、捕らえて選別する施設でした。 3区画のうちの1区画の公開をしています。他2区画は、イベント時に見学の案内をしています。 平成19年2月6日指定(国史跡)
郷土の歴史・民俗・自然を学習する施設です。市内で発見された石器・土器・板碑や古文書、民具などを中心に展示しています。牧や初富開墾に関する資料も多く展示しています。
年貢のために身売りされ、つとめを苦に夜逃げをした娘が、道を間違え村に帰れず、牧のほとりの池に身投げし、哀れに感じた村人が池に弁天を祀り霊を慰めた史跡。野付村に住む村人の暮らしの一端を示す伝承を残す。
額絵馬「鹿狩の図」は、嘉永2年に行われた鹿狩に動員された村人が奉納したもので、将軍が陣を張った御立場を中心に、猪・鹿を追う武士、柵を取り囲む勢子人足など、鹿狩りの光景が描かれている。
かつて漁師たちが沖合いにくる魚の群れを見張っていたことから「魚見塚」と言われ、女神像「暁風」をシンボルとして、どこまでも続く大海原や鴨川の街並みが一望でき、水平線から昇る朝日や夕暮れ時、夜景の美しさはまさに絶景。愛が成就する「誓いの丘」とも呼ばれている。
戦後の高度経済成長を大蔵大臣として支えた故・水田三喜男氏の生家。嶺岡牧の間近に所在しており、明治以降、民間会社となった嶺岡牧の役員として、牧の運営管理に深く関わっていた家系。現在、主屋と長屋門は、嶺岡牧に関わった農家の建築様式を良好にとどめ、国登録有形文化財となっている。
鴨川の昔の生活などがしのばれる、約9,000点の郷土資料や文化遺産を収蔵、展示。このほか、郷土出身の大蔵大臣、水田三喜男氏の収集美術品コーナー、歌人、古泉千樫、欄間彫刻師、波の伊八の特別展示などがある。また、文化財センターには市内の遺跡から出土した考古資料を展示し、見応えがある。