房総の牧

徳川将軍の牧と近代農業発祥の大地

広々とした台地と起伏に富む丘陵が織りなす房総の地、この地に広がる梨園、落花生・スイカ畑、牧場は幸多い農業王国千葉を象徴する風景です。この大地は江戸時代、徳川将軍家の馬牧、馬や乳牛を飼育していた日本最大の牧「小金牧」、「佐倉牧」、「嶺岡牧」が置かれ、房総の地に独特の風景と文化を育んできました。そして明治時代、徳川将軍家の馬牧は近代農業発祥の地となり開拓、酪農の時代を経て、沃野に変わっていきます。房総の風景のなかには、緑と赤土の恵み、そして幾重にも重なる馬の歴史と文化が今も受け継がれています。

History

千葉・房総の地は古来より馬を多く産出し、房総の武士団は平安時代から戦国まで房総の大地に育まれた名馬に跨り歴史を駆け抜けていきました。江戸時代この地は徳川将軍の牧となり、房総に広大な牧の景観と営みを生み出します。近代、徳川将軍の牧は富国強兵の舞台として、酪農を始めとした近代農業発祥の地・農業王国千葉県の礎となり、いまなお徳川将軍の牧と近代農業発祥の足跡が房総の大地に深く刻まれています。

Living

かつて房総に広がっていた広大な徳川将軍の馬牧は、明治時代以降に富国強兵の舞台として、酪農を始めとした近代農業発祥の地・農業王国千葉県の礎となります。馬牧の開墾の地に豊さへの願いをこめて名づけられた「初富」をはじめとする地名や開墾碑が今も多く残ってます。酪農・綿羊・競走馬の試験場と生産地、千葉県の風物詩である東葛の梨園、北総のスイカ畑・落花生畑の野積・ボッチ、牧場で馬や牛が草をはむ道沿いの景色など、日常の風景となっています。また馬牧の開墾の地に造られた工業団地、大規模ニュータウン、成田国際空港など日々の生活を支える大切な施設も徳川将軍の馬牧が背景となっています。

Culture

房総の馬牧は東葛の「小金牧」、北総の「佐倉牧」、安房の「嶺岡牧」からなり、管理する役所や「野付村」と呼ばれる約500の村々が手伝いを命じられていました。村にとっては大きな負担でしたが、広大な牧の木々、下草や山菜などは村々に払い下げられ、牧と村々は暮らしを支える共存の関係でもありました。牧との営みは、数百を数える道ばたの馬頭観音や牛頭観音等の石仏の造立や馬の行事など今日にも見られます。徳川将軍の牧は房総に牧の景観を残すだけでなく、牧に関わる独特の風習や文化を生み出すなど、房総の人々暮らしの背景に根付いています。

房総に広がる牧

Boso-no-Maki

房総の馬牧、徳川将軍の馬牧は東葛の「小金牧」、北総の「佐倉牧」、安房の「嶺岡牧」の3牧があります。 小金牧は千葉県の北西の下総台地にあり、江戸後期には高田台・上野・中野・下野・印西の五牧を小金五牧と総称していました。現在の柏市、松戸市、鎌ヶ谷市、船橋市、印西市に広がっています。 佐倉牧は千葉県の北東下総台地にあり、江戸中期には小間子、内野、柳沢、取香、高野、矢作、油田の七牧があり佐倉七牧と総称されていました。現在の酒々井町、八街市、富里市、成田市、香取市、また多古町、山武市、東金市の一部に広がっています。 嶺岡牧は千葉県の南、嶺岡山地の尾根と斜面あり、江戸後期には五つの区画を持つ嶺岡牧と柱木牧から成り立っていました。現在の鴨川市と南房総市に広がっています。